11月27日 午前2時ごろ、あたしのかわいいびんちゃんは旅立って行きました。
もう少し元気になったらblogに書こうと思っていたのですが、以前のように元気になることはなく機会を逸してしまいました。
手術決めるまでの長い1週間や退院までの数日、眠れない日々はあたしにとっては長く感じられたけど、思えばあっという間でした。
26日夜。クリクリの目であたしの姿を追うびんに
「リクのご飯作るから待っててね」とか「トイレ行ってくるからね」と声をかけ
しっかりとしたその視線に、まだ大丈夫じゃーんと確認できてたはずなのに
ほんの小一時間うたた寝してる間に逝ってしまった。
深夜2時頃、ふと目を覚ましてびんを見ると、ソファから頭がずり落ちかけた状態で床にはヨダレが垂れてた…
こんなの初めてだ。
ぴんちゃん?と呼び掛けても反応せず。
体温は普通と変わらずだったから、ほんの少し前だったのだと思う。
2、3日眠れなかったので頭がぼーっとしてた。
少しだけ寝るねと横になった隙をつくなんてひどいと思った。
同時に、さすが一人遊びの好きなびんちゃんだとも思ったりして。
なんでバイバイさせてくれなかったんだよー、びんのバカ!と何度も言い、泣きながらヨダレでガビガビになってた両手とアゴをキレイにしてあげた。
先月19日にでっかいグリグリを摘出しすっきりしたと思いきや
病理検査の結果によれぱ極めて浸潤性の高い癌、医師からの、それはガン細胞が正常な細胞に入り込んでる可能性が高く再発の可能性も高いという説明通り
3週間くらいのうちに元のグリグリの大きさになり、その後もどんどん育っていった。
お腹の赤ちゃんもこんなふうに大きくなっていくのかな、なんて想像しまう。
掌で包めるような感じ。摘出した腫瘍が外に出てる分と同じくらい内側にも出っ張ってたことから想像するに、テニスボールくらいのサイズになってたんじゃないかな。
抗がん剤は2度投与した。
1度目を投与した数日後に新たなグリグリを発見したので抗がん剤の翌週に受診。
リンパ節にもピンポン玉大のができちゃったけど、それより摘出した場所にまたできたことにショック。
抗がん剤その2の錠剤が追加された。
貧血傾向変わらずなので、ここでレバーとホルモン食べさせてみることに。
それが効を奏したかは謎だけど、少しだけ粘膜に赤みが戻った。
11月16日、抗がん剤点滴2回目。
腫瘍がどんどん大きくなるのを食い止められない。抗がん剤使わなければ更に成長が早まるのか、若しくは変わらないのか。
他の治療法を試してみる時間が惜しいので結局抗がん剤にしてしまうことになる。
徐々にご飯をビミョーに残すようになった。
ご飯はフードをミキサーで粉末状にして水で溶いてドロドロにしたペースト食。
たまーに吐くようになったから。吐くのはたまだけど頻繁にオエッとかやってた。
器にへばりついたご飯を最後まできれいにする前に疲れてしまうのか、その場でふぅっと伏せて休憩する。
お皿を傾けてやるとまた食べ出すけど、食べにくそうなのでフードを更に納豆ペースト追加で、ドロドロからどろりん食にした。
やった、完食♪これで少し安心だわーと思ったのだがー
バタッと倒れてジタバタすること数回あった。
これは発作というもの?
本人もびっくりするようで、我に返るまでしぱし呆然て感じ。
そんなわけで、3回目の抗がん剤はどうしようかと悩むようになった。
もしやめて、もっとすごいスピードで大きくなる可能性あるの?食べられなくなったり呼吸が苦しくなるの?と当たり前のようなことを聞いてみた。
クリスマスは迎えられないかも。
もしかすると12月も難しいかも。
初めて余命宣告らしいものを受けた。
最後の寒川散歩
毎日ご飯は食べ、素晴らしくいいウンチをしてたびんさん。
亡くなる2日ほど前から残すようになり、亡くなった日の朝は4割程度、夜はチーズさえも食べなくなってしまいトイレに連れ出すも自力では立てず。
ヨロヨロするので両側から支えたら、頑張って少しだけ右足上げてジョーッと出した。
息を引き取ったあと、抱き上げたら最後のウンチがぽろんと出てた。
最後までぴんこうんこは優秀だったよ。
残された頼りないふたり。
びんちゃん、任せちゃっていいの?
最後の3ショットになった写真が
NDAの輪・和・Wan!に。
たくさんのお花やメッセージをいただきました。
生前可愛がってくださった皆さま、忙しいところお別れに来てくださった皆さまに、本当に感謝です。
ありがとうございました。