父の葬儀が11日に終わりました。
ずい分日が経ってしまいましたが、お寺は松の内は葬儀はやらないとか?
その後は法事が立て込んでいて…とまぁそんなお寺の都合で11日。
ちょっと落ち着いたあたくしです。
実家代々のお墓のあるお寺は浄土真宗本願寺派です。
冠婚葬祭マナーなんかをネットでぺけぺけ調べてたら
但し浄土真宗はナニナニなど、但し書きが多い。
普通は戒名って言うけど「但し浄土真宗の場合は」法名というとか…
初七日までは亡くなった人が仏様になるまでこの世を彷徨ってるものらしいんだけど
「但し浄土真宗の場合は」亡くなった途端に浄土に行って仏様になっちゃってるんだって。
なので
お棺の中では旅支度も要らない。よって雪駄も懐刀も要らないらしい。のだ。
会席の場でお坊さんと一緒のテーブルだったので質問攻め。
そもそもはリクが「お通夜も告別式もお経が同じに聞こえるんだけど??」から始まった。
お坊さんに聞いてみ?と(笑)
そしたら、亡くなった人がお経を読んでもらってありがたいと思ってるわけじゃないんだって。
えーーーーっ!ヽ(゜▽、゜)ノ
じゃぁなんで?
残された皆さんのための気休め行事…的な説明でした。
カツ丼実家のお寺は禅宗ですが、以前お坊さんに質問したことがある。
遺影や位牌に魂を入れるという儀式をしてるけど、じゃぁお盆にお墓から帰ってくるのは何か。
答えは「深く考えちゃいかん」だった(爆)
そんな話を浄土真宗のお坊さんにしたら
本当は位牌だって無くてもいいのだと。
位牌などカタチあるものに依存してしまうから無くてもいいもの。
でも安心するから存在する、みたいな。
いいなー、あっさりしてて。
四十九日などの法要は、遅くなるのは良くないから早めに設定するとか聞くけど
それも別にどーーーでもいいらしい。
だって、通常四十九日は故人が極楽浄土に無事たどり着けるように供養するものとあるが
浄土真宗的考え方によれば、もう極楽浄土に行っちゃってるんだもん。
じゃぁなんでやるの?
残った人のため…
家族の絆を再確認するためとか、まぁそんな説明だったっけ。
なら別にやらなくてもいいような気がするけど
親族集まって故人を想いお経を読んでもらって、というのはやっぱりしたいよね…
となるとやはり残った人のためということになるんでしょーかね。
そそ、あたしは東京生まれ東京育ちで記憶にある骨壷は抱える大きさなんだけど
西の方では小さいんですって?
お墓にはお骨の一部を納骨するというわけですね。
本山である本願寺に納骨する人がいる…とかいう話だったかな@怪しい( ̄w ̄)
で、持ってくる骨壷の大きさで、あぁ関東の人だなとかわかるんだと仰ってました。
宗派によっても違うんですかね、よくわかんないけど。
でもなかなか深~いお話を沢山聞けました(笑)